鼎泰豊といえば、いつも連想させるのは小さく精巧で玲瓏な小籠包です。当たり前のようにそう思われています。しかしこれほど有名になった鼎泰豊ですが、この鼎泰豊という名前はどこから来たのか?またどうやって生まれたのか?鼎泰豊の伝説はこのように始まったのです。

鼎泰豊の創業者 楊秉彝(ヤン・ビンイ)氏は、1927年中国の山西省で生まれました。 1948年の夏、21歳の楊秉彝氏は国共内戦期に確固たる決意で「花蓮号」に乗り、暮らしの糧を求め、上海からはるばる海を越えて台湾にやってきて、台湾の叔父を尋ね当てました。叔母の助けのもと、楊秉彝氏は台湾での仕事を得ました。それは「恒泰豊」(油問屋)で配送員になることでした。2年後、彼は仕事もてきぱきとこなし、人となりは温厚で正直だったので、オーナーは彼に帳場と店内の仕入れ出荷の管理を任せました。28歳の時に同じく「恒泰豊」油問屋で働いていた頼盆妹と結婚。結婚後も油問屋で3、4年仕事を続けました。そしてある日、オーナーが投資に失敗し、「恒泰豊」も影響を受け、再起不能になり、ついに油問屋は解散に追い込まれました。秉彝夫婦は仕方なく辞めざるを得ませんでした。この時の秉彝はすでに31歳。油問屋を辞めた秉彝夫婦はみずから創業することにしました。それなら新しい店にどんな名前をつけるか?楊秉彝氏は考えました。自分は「鼎美油行」に油を卸していて、みずからは「恒泰豊」の出身であるから、「鼎泰豊」とするのがいいのではないか、と。これは「恒泰豊」オーナー夫妻の恩に対する彼の感謝の気持ちが込められているともいえるでしょう。そして、ここに「鼎泰豊」の原型が生まれたのです。この時、1958年。当時電話は申請が難しく、信義店で現在でも使用している23218927の電話番号は山西省の同郷の監察委員から買ったのです。電話を買うついでに、また同郷の監察委員の于右任先生に一幅の文字看板「鼎泰豊油行」を書いてもらうようお願いしました。それは40年来ずっと鼎泰豊信義店の入り口に掛かっています。 

秉彝は以前の「恒泰豊」の油問屋で培った人脈と良好な商売上の信用によって、「鼎泰豊」の油の販売業務はいち早く軌道に乗り、少し蓄財が貯まった後、夫婦はなんとかやりくりして信義路に店舗を購入、油問屋をここに移したのが、鼎泰豊信義店の現在地なのです。1980年頃は、缶入りサラダ油が世に出て、大衆の油を買う習慣に大きな変化が訪れました。そのため、「鼎泰豊」の油販売の商売にもかつてない打撃となり、商売は日に日に悪化、楊秉彝夫妻は日夜「このまま手をこまねいているわけにはいかない」と困り顔でした。しかし進退窮まり苦境にあっても希望の光は見えるもので、楊秉彝夫妻がこれが自分たちの商売の潮時だと考えた時、思いもよらぬことに、このことが「鼎泰豊」が生まれ変わる転機となったのです。楊秉彝夫妻は「復興園」の唐オーナーのすすめを受けて、もともと油を売っていた店を半分は油の販売、半分は小籠包を売る店に改装したのです。「鼎泰豊」の小籠包はまったくの宣伝なしの中で、本物の素材と中身によって、食べたお客はみな口々に称え、食べたことのあるお客は一人また一人と新しい客を連れて来店し、商売繁盛しました。こうして「鼎泰豊」は油の販売をやめて、正式に小籠包と点心の商売を経営しはじめ、「鼎泰豊」が国際的ブランドとなる伝説がこうしてはじまっていったのです。

 
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